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Interview

日本遺産のお酒①「伊丹諸白」と「灘の生一本」

2022.11.7

2020年6月に日本遺産に認定された「伊丹諸白」と「灘の生一本」。お酒好きのかたはすでにご存知かもしれませんが「伊丹諸白って?」と思われる方もいるのではないでしょうか。3回にわたって、伊丹のお酒とその作り方をご紹介します。

「下り物」と「伊丹諸白」

日本遺産に認定されたのは「伊丹諸白」と「灘の生一本」。「清酒のスタンダードを築いた」伊丹・西宮・灘の文化を後世に残すために認定された。

江戸時代、江戸の街では関西・上方から送られてきた産物が「下り物」として人気があったという。ここから取るに足らないものを「くだらないもの(下らない物)」と呼ぶようになったほど。

「下り物」の中でも日本酒は特に人気だった。「下り酒」と呼ばれ、年間80~90万樽ものお酒が樽廻船で江戸に運ばれたと言われている。江戸でのお酒の消費量の8割に上る量だ。

人気の理由は下り酒が「澄み酒」だったこと。それまで白く濁った「濁り酒」が主流だったところに、伊丹で生まれた「澄み酒」が届けられ主役の座を奪っていった。

伊丹の酒造りでは原料米をすべて精米し、麹造りや仕込みに使用する「諸白(もろはく)仕込」が確立され、下り酒の中でも「伊丹諸白」の銘で江戸で大変重宝されたという。

「下り酒」を運んだ樽廻船(小西酒造所蔵の模型)

「灘五郷」と「灘の生一本」

伊丹で生まれた清酒造りは六甲山の麓、灘の酒造地帯へと伝えられる。「灘五郷」と言われる地域で神戸市にある西郷、御影郷、魚崎郷、西宮市の西宮郷、今津郷が含まれる。

ここで作られるお酒が「灘の生一本」。「生一本」は現在では「一つの酒蔵で作られた混じりけの無いお酒」という意味で使われているが、もともとは灘のお酒を指す言葉だった。

伊丹から清酒造りを学んだ灘五郷の酒蔵は、六甲山からの恵みの水を使い「下り酒の一大産地」として台頭していく。日本遺産ポータルサイトによると現在は「約25%のシェア、我が国清酒の4本に1本が灘五郷の酒」だという。

丹波杜氏が支える酒造り

伊丹や灘五郷でのお酒造りを担っていたのは「丹波杜氏」。杜氏とは狭義では酒造りのリーダーを指すが、広義では「酒造り集団」を指す。ここに出身地をつけて呼ぶことが多く「丹波杜氏」は丹波出身の酒造り集団ということになる。

丹波杜氏の出身地は主として多紀郡(現丹波篠山市)の村々。農閑期の「百日稼ぎ」といわれる「出稼ぎ」(冬季の季節従業員)で酒造りを行っていた。

丹波杜氏は、酒造りを寒い時期に行う「寒造り」、発酵を促す「三段仕込み」など現代にもつながる酒造りの基礎を築き上げた。この技術は「丹波流」と呼ばれ、全国へと広まっていった。

次回は酒蔵での酒造りの様子です。

INFO

小西酒造株式会社
〒664-0845 兵庫県伊丹市東有岡2丁目13番地
TEL 072-775-0524
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