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Interview

渋沢栄一のふるさと「論語の里」をめぐる

2022.4.4

大河ドラマや新一万円札でこれまで以上に広く知られるようになった渋沢栄一。「近代日本経済の父」などとも呼ばれる。栄一が生まれ育った地が埼玉県深谷市で、この地にある渋沢栄一記念館の馬場さんに、他ではあまり聞くことのできない栄一秘話のほんの一部を伺った。

「論語の里」とは

埼玉県深谷市の栄一の生地「中の家(なかんち)」とその周辺の渋沢ゆかりの施設がある地域。このエリアには渋沢栄一記念館、渋沢栄一のいとこ尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)の生家もある。

一帯は農村地帯で現代では「深谷ねぎ」を生産している農家も多い。渋沢家も麦作や養蚕を行っていたという。

ドラマでも描かれていたが、栄一は尾高惇忠に論語をはじめとする様々な学問を習った。中でも論語には生涯親しんだという。そこから、栄一が論語を学びに尾高惇忠の家へ通った一帯が「論語の里」と呼ばれるようになった。

ビール製造も?

幼年期の学問がもととなり、栄一は海外へ目を向けるようになっていく。

栄一が起業などで関わった企業は約500。その数にも驚くが、事業の幅にも驚く。銀行などの金融業をはじめ、運送業(海運、陸運)、電気、石油、製鉄、繊維などなど。「栄一は何をしていた人ですか?と聞かれると答えきれないです」と馬場さんは笑う。
「日本が諸外国と渡り合える国になるためにどんな産業が必要か、どんな産業があれば国民の生活の質が向上するのかを考えて、次々と起業に関わっていったのです」。

金融業など経済を支える事業はもちろんだが、実は日本の主なビール会社にも関わっているのだという。サッポロビール、アサヒビールの前身である札幌麦酒会社や大日本麦酒、キリンビールの前身であるジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッドの設立に関わっているのだ。 「特にお酒好きというわけではなかったようです。開かれた社会を作るためには西洋の文化を取り入れる必要がある。そのひとつがビールを嗜むことだと考えたのかもしれません」。

人が好き、人と話すことが好き

栄一は「人が大好きで、人と話すことも好きだったようです」と馬場さん。多忙な日々を送っていたにも関わらず、様々な人と「話すこと、聞くこと」をやめなかった。

出勤前の栄一の家には助けや意見を求める多くの人が列をなしていた。「栄一はどんな身分のひとであろうと、道理の通っている話には耳を傾け、真摯にこたえようとしていたようです」。

学生が将来を語れば留学費用を援助し、若者が新しい事業について語れば資金を援助した。とはいえ、めくらめっぽうに支援したのではなく「日本の将来のため」になると判断したときだけに限っていたようだ。

また、存命のお孫さんによると「優しいおじいさま」だったことが伺えるという。「お孫さんが多く集まる機会には『誰がおじいさま(栄一)と一緒のお布団で寝られるか』を取り合いになったそうです」と馬場さん。堅いイメージの写真からは想像しにくい、微笑ましいエピソードだ。

栄一がどのような土地で育ちどのように勉学に勤しんだか、深谷市で歴史散策をしてみてはいかがだろうか。4月1日からは『深谷市「論語の里」ガイド』というアプリケーションもリリースさている。クイズ形式で楽しく栄一について学ぶこともできる。ぜひご覧頂きたい。

MUSEUM INFO

渋沢栄一デジタルミュージアムWeb

深谷市「論語の里」ガイド

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